ソロモン諸島ってどんな国!?

D-クールな街

こんにちは!樹里です。

 

2020年までブラジルで暮らしていたのですが、紆余曲折あり今はソロモン諸島という国で暮らしています。

 

だいたい10人中10人から「どこやねん」と言われますが、自分が行くまでは私も同じく「どこやねん」と思っていました。

 

正直、日本ではかなり知名度の低い国ではないでしょうか。

 

今日はそんなソロモン諸島という国について少しでも知ってもらえたらなぁと思います。

名前の由来

”ソロモン”という単語自体はどこかで聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか?

 

もともとは古代イスラエルの第3代目の国王の名前だったようですが、

 

スペイン人探検家がこの地で砂金を発見し「これが探し求めていたソロモン王の財宝だ!」ということで

 

「ソロモン諸島」と名付けたようです。

場所・アクセス方法

さて、そんなソロモン諸島、どこにあるのかというと、こちら。

 

オーストラリアの右上あたり。

残念ながら直行便は運航していませんが、行き方としては3パターンあります。

  1. フィジー(ナンディー)経由
  2. オーストラリア(ブリスベン)経由
  3. パプアニューギニア(ポートモレスビー)経由

現在(2021年11月)はコロナウイルスの影響で政府の認可なしに入国できない状況でフライトもかなり制限されています。

公用語 ”ピジン語”

なんとソロモン諸島には1000以上の島があると言われていて、島ごとに文化や言語、民族も異なるので同じソロモン人でも多種多様。

それぞれの島で話されている現地語に加えて、公用語として「ピジン語」という言語を話します。

英語を簡単にしたような言葉で現地のひとも”Broken English(くずした英語)”と表現しています。

もともと彼らが使ってきた現地語と英語が混ざって今のピジン語になっています。

  • ”Talk(話す)” = ”トクトク”
  • ”Like(好き)” = ”ライケム”
  • ”Like(好き)” = ”ライケム”
  • ”Thank you(ありがとう)” = ”タギオ”

などなど、なんだかかわいくてつい口に出したくなる言葉です。

ガダルカナル島の戦い

そして、この国を語る上で日本人としてまず知っておくべきなのは、

 

“ガダルカナル島の戦い”

 

第二次世界大戦において日本軍とアメリカ軍が戦いを繰り広げた地、ガダルカナル島が今まさに私が暮らしている島なのです。

かの有名な零戦のおはなし「永遠の0」の舞台になった土地です。

この戦いから2022年で80周年を迎えるのですが、実は、100年近くたった今でも無限に不発弾が埋まっていると言われていて、なんの罪もないソロモン人が不発弾の暴発事故によって亡くなるという痛ましい事故が年に数件起きています。

さらに、この島には不発弾だけでなく、戦車や戦艦、戦闘機の残骸があちらこちらに落ちていて、そういった戦争遺物を集めた戦争博物館も一つの観光名所となっています。

戦争博物館については別記事でたっぷり書きたいと思ってます。

この戦争の痛みを忘れないように日本とアメリカがそれぞれ慰霊碑を建て、ソロモン人の支援を得て大切に管理されています。

陽気で自由なソロモン人

これだけの負の遺産を残しているのですから、反日感情があってもおかしくはないと思うのですが、ソロモン人はあたたかく迎えてくれます。

日本人として暮らしていても差別のようなものを受けたことはありません。

むしろ親日が多い印象で、それは日本が戦後行ってきた支援のおかげではないでしょうか。

例えば、ソロモン諸島唯一の国際空港ソロモン諸島唯一の幹線道路は日本の支援でできています。

日本の支援で建てられた地方の小中学校も多く、学校がない島にいる子どもたちに教育の場を与える大事な支援になっています。

外国人の移民がまだまだ少ないこの国ではアジア人は珍しく、肌の色が違う顔が平べったい私を見て、子どもたちが宇宙人を見るような顔で目をまんまるにして私を見るので笑ってしまいます。

ソロモン人は本当に自由で陽気で(少しだけシャイ)、裸足でマーケットを歩き回り、トラックの荷台で大合唱する彼らを見ていると、お金持ちでなくても、高級バッグを持っていなくても、幸せとはなにかを分かっているようで、毎日たくさんのことを彼らから学んでいます。

今日はこのあたりで。

おやすみなさい。

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