ンディ〜!!!
ガーナで生活をしているとよく聞く、
「今日は何食べた?」「今からどこ行ってきたんだ?」
という言葉。
からの、
「私の分は?」「お土産は?」
という言葉のセット。
日本にいると、「え?なんでそんなこと聞くの?」って思ったり、最初はガーナでとても慣れない言葉でした!
しかも真顔で言ってくるものだから、冗談か、冗談じゃないかわからない(日本人にとっては・・・笑)。
どうも、そんな冗談か冗談じゃないかを毎回真剣に考えているMisakiです!
そんな冗談が好きなガーナ、以前の記事でガーナのリゾートについて書かせていただいんたんですが、またまた見つけました、ガーナリゾート第二弾!!!
以前ノリゾー路についてはこちらからどうぞ!!!
今回のリゾートは・・・
Keta Lagoon Resort!!!
しかも今回は2弾構成で、その1弾目となる今回!
題名にもあるように、「ガーナの陰」にフォーカスして書いていきたいと思います!
ガーナの歴史について
みなさん、「奴隷貿易」はご存知ですか。
奴隷貿易とともに一度は耳にしたことがあるであろう「ケープコースト城」。
まさしくこの「ケープコースト城」は現在のガーナにあるんです。(また機会があれば一度は訪れたい場所です!)
そして17〜19世紀にかけてガーナに内陸部に存在していた「アシャンティ王国」というところ(現在も残っているAshanti Regionにあたる)が奴隷貿易を経て、栄えました。
そのアシャンティ王国の人たちが主に欧米諸国との間で行っていたのが、「奴隷貿易」。ここにあった事実として、同じ黒人の人たちが他の部族の黒人を捕まえて、欧米諸国に売っていたということです。
その窓口の1つとして今回行った、「Fort Prizenstein」があります。
現在もガーナにはたくさんの民族が共存しており、公用語は英語であるものの、民族語というものが色濃く残っており、行く先によって英語が通じない、現地語も通じないということもざらにあるんです。
また別の記事で、ガーナの民族、民族語についてはまとめたいと思います!
このような歴史があってなのかわからないですが、
遺跡「Fort Prizenstein」とは・・・
そんな負の遺産とも言える、「Fort Prizenstein」は、主に女性が多く連れてこられ、
奴隷として欧米諸国に売られていた場所であります。
このFort(=城塞)自体、デンマークの人たちによって築かれており、全盛期である17世紀〜19世紀にかけてこの遺跡が位置するヴォルタ州の奴隷貿易の窓口として機能していました。
またこの城塞を構成しているものとして砂と貝殻を混ぜたものが壁として築かれています。そのため現在では劣化も進み、貝殻と土が混ざった壁の中身が露出していたり、当時の奴隷として連れてこられた女性たちが使っていた浴室、拷問部屋、食堂なども残されている。
しかし現在の姿として、現存している箇所は少なく、度重なる海からの波の影響を受け、当時は4つの部分に分かれていた箇所も現在では一箇所の一部だけしか残っていない現状でした。
また、いうことを聞かない反抗的な奴隷に対しては、別室を設け、満潮になった際に波が押し寄せ、溺れさせるための部屋なども残っていました。
光と陰とは・・・
上記で書いてきたことはほんの一部にしか過ぎないガーナの歴史です。
しかも、現在この「Fort Prizenstein」が位置しているところがKeta。おそらくKetaと聞いて一番連想しやすいのがKeta Ragoon Resortというリゾート地なんです。(実際、自分も行くまでこのような場所があるとは思ってもみなかったんです・・・)
まさに光と陰が共存している場所ともいうことができますね。
また、この地から欧米人たちと交流していた(いい交流ではないですが・・・)こともあり、Ketaが位置しているヴォルタ州で話されるエヴェ語にはこの当時を風刺したことわざ等も多いようです(残念ながら、現地語でなんというのか聴き取れなかった・・・)
今回はリゾートに遺跡!?の陰として少しシリアスなことを書いてきました。
日本とは違った歴史を持っているから、日本とは違う文化も生まれるんだなと・・・
せっかく、日本とは違う環境に来たなら、その国の背景にあるものを見てみるのも1つの海外の楽しみなのかもしれませんね!!
今日も元気にガーナです!!!
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