ナマステ。
インドはデリー在住のアミターブです。
4月に入り、日本ではだいぶ暖かくなってきた頃でしょうか。
こちらデリーでは、日中は40度を超えるようになり、「酷暑期」と呼ばれる季節が始まりました。
ただ、40度とは言え、日本と違って湿気がなくカラッカラなので、意外とつらくないです。ただ、乾燥が激しいので、真冬みたいに唇がガサガサになったり、鼻の粘膜がやられて鼻水がズビズバ出たり。不思議な感覚です。
さて最近は、「フマユーン廟」に行ってきましたので、ご紹介します。
フマユーン廟とは
インドが世界に誇る世界遺産!
ムガル帝国第2代皇帝、フマユーンのお墓です。フマユーンの死後にお妃さまが作らせました。ムガル建築の代表作なんだとか。
思いのほか大きくて、立派!
周囲の庭園を含めて、イスラム教の経典「クルアーン」に記述されている、パラダイスを再現したものなんだとか。
ムガル帝国とは
1526年に初代皇帝バーブルが建国、1858年にイギリスによって正式に廃絶されるまで続いた、インド史上最大のムスリム王朝。インド版の江戸時代ってところでしょうか。
「ムガル」というのは「モンゴル帝国」に由来するそうです。初代皇帝バーブルは、チンギス・ハンの血を引いているんだそう。
ちなみにフマユーンの息子は、世界史で習ったような気がするあのアクバル大帝。人頭税(ジズヤ)を廃止したというあの人です。さらにアクバル大帝の孫、第5代皇帝のシャージャハーンは、あのタージマハルを作った人なのです。
悲運の皇帝フマユーンとは
実はフマユーンさん、彼が皇帝になった後で、ムガル帝国は一度すべての領土を失ってしまいます。
建国したばかりで、周囲には敵も多く、安定した情勢ではなかったのですね。。。
それでも彼は現在のイランまで流れて生き延び、そこのサファヴィー王朝の協力を得てインドに舞い戻り、見事ムガル帝国を復活させます。
ところが、ようやく国を再建した半年後、フマユーンは階段から転げ落ちて頭蓋骨を骨折し、あっけなく亡くなってしまったそうです。
中に入るとこんな天井まできれいに装飾されていました。
うーん、幾何学!
中央にあるのがフマユーンの「模棺」本物の棺はこの真下にあるらしいです。
内部には部屋が連なっていて、各部屋に棺があります。
このフマユーン廟には、フマユーンの家族を含め、当時の要人、合計150名もの人々が葬られているんだとか。
これだけ部屋があるとお掃除も大変。
帰り際、木陰で座って休んでいると、フマユーン廟で働くスタッフのおじちゃん達から話しかけられました。
「北東州から来たのか?」というお決まりの質問から始まり(北東州:インドのダージリンとかがあるあたり。東アジアっぽい顔の人が多い)、結婚はしてるのか?彼女はいるのか?と追及されるうちに、いつのまにか話は猥談になり、みんなでケラケラ笑っていたら、別れ際にコンドームをくれました。なんで持ち歩いてんねん。
チョコレートフレーバー。なんでやねん。
いやあ、なんだか変なオチのついたフマユーン廟観光でしたが、とても楽しかったです。
皆様もコンドームが御入用の際はデリーを観光の際は、ぜひフマユーン廟へ!
それでは、また。
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